「カゲプロ」入門に最適? ~楽曲「アウターサイエンス」解説~

以前、「カゲロウプロジェクト」アニメ化の第一報を耳にした際に楽曲「カゲロウデイズ」を取り上げて、「ループもの」としての同作品を考察したことがありました。

「カゲロウプロジェクト」について~終わらない悲劇から抜け出すために~

一連の物語におけるループ現象についた名前が「カゲロウデイズ」であり、小説版・漫画版にもこのタイトルが冠されていることから、同楽曲を取り上げて「カゲロウプロジェクト」全体の考察に代える意図がありました。

しかしこの「カゲロウプロジェクト」、詳しく物語を追っていくと、実はより複雑な構造を備えていることがはっきりしてきたのです。


楽曲ごとに主人公格のキャラクターが配置されているため、素朴に見ればあくまで〈同一時間軸上の〉出来事を、それぞれ異なる視点から描いているように見えます。

が、実は楽曲という単位で切り出されてきた各主人公の物語は、〈同一時間上の〉出来事ではなく、それぞれに異なるパラレルワールドの出来事だった(かもしれない)……ことが「最終話」において示唆されます。そして原作者のじん氏によって「最終話」として設定されているのが、今回取り上げる「アウターサイエンス」なのです。



動画を観ればお解りの通り、ここで示される結末は明確な「バッドエンド」です。

いかにもな悪人面をした黒装束の男が出てきますが、どうやらこの男は人の負の感情に付け入り、「こんな現実認めたくない!」と思わせることによってループを引き起こさせる存在のようです(『まどマギ』のほむらが「まどかを救う」という目的のため自らループを発生させていたのに対し、「カゲプロ」のループは他人から与えられた、しかもネガティブな感情によって引き起こされるものという違いがあります)。

ちなみに黒装束の男によってループ能力を与えられるのが、悲劇的な表情を浮かべる白髪の少女「マリー」(楽曲「空想フォレスト」の主人公)です。


「8月15日」という日付が繰り返される「カゲロウデイズ」と比べると、これが「ループ」に関係する話だというのはパッと見わかりにくいのですが、次のような歌詞を参照することである程度確信が得られるでしょう。

"なんて馬鹿な生命だ
何度でも 抗って
同じ話(ひび)へ逆流(もど)り始める
無謀に 無様に
泣いて、哭いて、啼いて、綯いて"

"「もう、なんだか良いや」って
何度もただ泣いたって
終わりすらも 直に薄れる
次の次の次に来る
次の次の日を
次の次の次も 嘲笑しよう"

(ちなみにこの楽曲の「主人公」は悲劇を楽しんでいるかのようなその悪辣さから見て、ループ能力を与える「黒装束の男」だとわかります)


では「アウターサイエンス」が「カゲロウデイズ」と同じように「ループ」を取り上げた楽曲だとして、なぜこれまでの楽曲が「パラレルワールドの出来事」だったと言えるのか?という疑問があるかと思います。

それは以下の歌詞を読むことで推測が立てられます。

"あぁ、君に宿っちゃったんでしょう?
目を合体させる(あわせる)運命(のうりょく)がさ
君がこの悲劇の「女王」なんだ"

"謳歌しろよ生命よ
愛とエゴの合掌祭
揺れる日々も崩れ始める
「始めの悲劇」へ足並み合わせて"

つまり、マリーが黒装束の男に「目を合体させる能力=ループ能力」を与えられ「悲劇の女王=ループを発生させる主体」になったこの地点が「始めの悲劇=ループの開始地点」である、ということです。

「アウターサイエンス」は「カゲロウプロジェクト」全体の最終話にして、物語の開始地点でもあった。

それ自体完結した「ループもの」である「カゲロウデイズ」を含む、より巨大なループがここに始まる、ということなのです(小さなループと大きなループ、この入れ子構造については村上裕一さんの著書『ネトウヨ化する日本』に詳しいので興味のある方は読んでみてください)。


「ループもの」であるがゆえに、小説、マンガ、そしてアニメと多様なメディアミックスがなされている「カゲロウプロジェクト」。
4月スタートのアニメ『メカクシティアクターズ』も、この「アウターサイエンス」を開始地点とする一つの可能性、として観ると理解が早いかと思います。

僕は本動画に出会って、それまで懐疑的だったのが一気にハマれそうな気がしてきました(笑)。最終話というだけあって、動画としてのクオリティも格段に上がっていますしね(原作の動画制作者/イラストレーターの「しづ」さんが絵コンテを手がけるというアニメのOPも楽しみです)。