カゲロウプロジェクトに見る、「タテの関係性」という主題

 ライブイベント「MAKE a MEKAKUCITY」。キャラクターの「声」が生身の演者を遥かに凌駕する求心力を誇っていたことに加え、もうひとつカゲプロの凄味として感じたのが「タテの関係性」という主題の深化と、そこから導かれるファン層の射程の長さだ。カゲプロはティーンに刺さる焦燥感の表現だけでなく、母娘(アザミ‐シオン‐マリー)や姉弟(アヤノ‐キド・カノ・セト)といったタテの関係を作品に組み込んでいる。カゲプロに「泣く」ということは、親や年長者(あるいは年少者)への思いやりを涵養するということと不可分の体験なのだ。実際自分の横に座っていたのは小学生らしき女子二人組だったのだが、キャッキャしつつも(セトとヒビヤがそれぞれお気に入りらしい)、興奮しすぎてこちらに割り込み気味になった際には「すいませんね~」とか言いつつ自分からスペースを空けてくれた。私は決して子供が得意ではない、というかぶっちゃけ苦手としているのだが、いつもは生じる苛立ちが全く生じなかった。「カゲプロ厨」などと言われているのが嘘みたいに(実際嘘である部分は多いのだろう)、カゲプロファンは思いやりの精神に溢れている。

 初めに主題の「深化」と書いたのはライブで演奏するにあたっての歌い手のセレクトに、非常にコンセプチュアルなものを感じたからだ。具体的には「アヤノの幸福理論」「シニガミレコード」を歌った奥井亜紀、「マリーの架空世界」「days」を歌ったLiaについてである*1。奥井は「このステージって横幅が20mあるんだって~。クジラと同じくらい。クジラのお腹の中にいるって思ったらみんなで一つの命みたいだね~」「みんなのお母さんになったつもりで歌います」などと語りつつ「シニガミレコード」を歌い始めたし、コノハがカセットテープを再生する、という演出で場内に流された「マリーの架空世界」は、なんとLiaの実娘によるカラオケであった。観客を戸惑わせることもわかっていただろうに(実際サイリウムの揺れ動きには大いにそれが見受けられた…)このような演出を施したのは、そこに明確なコンセプトがあったからに違いない。

 そもそも「ティーンエイジャーの仲良しチーム」と見なされがちなメカクシ団についても、メンバーの年齢は10歳~19歳と幅広く*2、その社会的ステータスもばらばらである(学生と明言されているのはモモとヒビヤくらいのものだ)。同じくティーンエイジャーの共同体を描いた『Angel Beats!』のように「学校」を土台としたモデルではなく、年長者が年少者を、あるいは逆に年少者が年長者を慮るという「タテの関係性」こそが基調をなしているのだ。そしてストーリーの時間軸が過去に遡るにしたがって、メデューサ一族やアヤノ一家の挿話を通じて「母娘」や「姉弟」といった「家族」のすがたも見えてくるようになっている。

 ところで唐突に『Angel Beats!』というタイトルを出したが、この作品を手がけたシナリオライター麻枝准の一連の作品群と比較することで、カゲプロのコンセプトはよりいっそう明確になる。麻枝准は一貫して「家族」というテーマを描き続けてきた作家であり、『AIR』『CLANNAD』では母娘というタテの関係性を、続く『リトルバスターズ!』『Angel Beats!』では学校の仲良しグループによるヨコの関係性をそれぞれ描いてきた。現状の最新作である『Angel Beats!』が「死後の世界の学園」を舞台としていたこと、その主題歌である「My Soul,Your Beats!」を歌唱したのがLiaであり、しかもそのレコーディング中に(今回「マリーの架空世界」を歌った女児を)懐妊中であったというエピソードも加味すると、カゲプロを麻枝准が一貫して探究してきた主題の正統な後継者、文字通りの嫡子として位置付けることもできるだろう。

個人的には、カゲロウプロジェクトの「家族」という主題への屈託のなさは、ソーシャルネットワークの配備によって、父権的な「タテの圧力」が相対的に弱まったことの反映ともいえるのではないかと考えている(原作者であるじんやしづが、SNSを介して出会ったということを思い出してもいい)。タテの関係が決して消失したわけではなく、フラットな思いやりの機能する場所に変質し始めたということ。そのような時代背景をもカゲプロは映し出していると言っては、過大評価にすぎるだろうか。

*1:これらの楽曲は「アザミ」「アヤノ」といったキャラクターのテーマソングであり、まさしく母が娘を、姉が弟たちを慈しむ気持ちを主題にしている。

*2:厳密には100歳超えの「メデューサの末裔」マリーや、造られたばかりのアンドロイドであるコノハもいる。