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『Kanon』の追復曲(カノン)としての『天体のメソッド』――久弥直樹試論

11月23日(月祝)の文学フリマにて頒布予定、現在絶賛編集中の合同誌『Life is like a Melody ――麻枝准トリビュート』に寄稿予定の麻枝准論のベースとなっている久弥直樹論を再掲します(元の記事はこちら)。昨年放送されたアニメ『天体のメソッド』の完結を受けて執筆されました(再掲にあたり若干の修正を加えています)。今度の原稿の「デモ版」としてお楽しみいただければ幸いです。

 


 

1. はじめに

2014年10月より放送を開始し、全13話で完結した『天体のメソッド』。その原案・脚本をつとめる「久弥直樹」という名前に、様々な感慨を呼び起こされる人も多いと思う。逆にある年代以下の方には、まったく馴染みのない名前なのではないだろうか。

久弥直樹は90年代末~00年代初頭にかけ『ONE~輝く季節へ~』『Kanon』などのPCノベルゲームを手がけてきたシナリオライター京都アニメーション制作でアニメ化もされた『AIR』『CLANNAD』の麻枝准とともにゲームブランドKeyを立ち上げ、「泣きゲー(=泣けるゲーム)」の一大潮流を作り出した(一部で)伝説的な人物として知られる。しかし2000年の『Kanon』を最後に引退同然の形となってからは、2007年のアニメ『sola』で原案・一部脚本をつとめた他には公に姿を現すことなく、長く沈黙を保ったままだった。その彼が七年ぶりに表舞台に復帰を果たした作品というのが、この『天体のメソッド』なのである。 

新進スタジオによる制作体制や若手声優の積極的な起用、スマートフォンゲームで人気のイラストレーターをキャラクター原案に迎えるなどきわめて「今風」なデコレートが施されているものの、ノベルゲーム時代から彼の作品を追いかけてきた者にとっては第1話から「これぞ久弥節」との印象を強く残す内容であった。とりわけ表層的なモチーフやキーワード……「約束」「七年ぶりの帰郷」「北国が舞台」など……のちりばめ方には、かなり直接的に『Kanon』を想起させるものがある。それもそのはず、今作の裏テーマというのは、久弥直樹本人による、「もう一度久弥直樹をやってみよう」ということなのだ*1。だから彼のかかわった作品についていま一度振り返ることは、そのまま『天体のメソッド』という作品とはなんだったのかを考えることにも等しい。

本稿ではデビューから約15年という月日を経ても変わらず一貫した「久弥直樹のメソッド」を取り出し、その上で『天体のメソッド』という作品が何を更新したのか、ということについて述べていこうと思う。

 

2. 久弥直樹のメソッド

2-1. 『ONE~輝く季節へ~』

『ONE~輝く季節へ~』はKeyの前身であるTacticsによって開発されたPCノベルゲームである。企画は現在もKeyのメインライターとして活躍する麻枝准。久弥は全6ヒロインのうち、半数にあたる3ヒロインのシナリオを執筆しているとされる。ゲーム全体の基調をなすのは、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に強い影響を受けたといわれる麻枝作品に特徴的な、日常とは異なる「もうひとつの世界」の存在である。

主人公は妹の死、それに伴う家庭崩壊によって絶望の淵にいた幼いころ、「いつか終わりの来る日常」を否定し、悲しみのない「永遠の世界」を望むようになる。彼にはそんな「永遠」を肯定してくれた幼なじみの少女がいたのだが、その幻影は「永遠の世界」を象徴するイメージとして、現在も彼を縛っている。主人公は(プレイヤーによる選択の積み重ねによって選ばれた)ヒロインの一人と親密になるが、かつて幼なじみの少女と交わした「永遠の盟約」に従うようにして、「もうひとつの世界」へと姿を消してしまう。しかしそこで彼はヒロインと過ごした日々をひとつずつ思い返す。そして遂には「終わりがあるけれども、輝く日常」を肯定するに至るのだ。一年後、彼を待ち続けたヒロインのもとに主人公は帰ってくる……以上が全シナリオに共通する、大まかなあらすじである。

上述の通り、『ONE』において「約束」とは主人公を縛るものとしてある。主人公が日常に帰還を果たすのは、かつて少女と交わした盟約を上書きする形で、ヒロインとの日々が肯定されたことによる。今作において「約束」とは、何より「乗り越えるべきもの」として存在しているのだ。

2-2. 『Kanon

Kanon』はKeyブランドの第一作であり、企画者は久弥直樹。全5ヒロインのうち3人までのシナリオを自身で手がけており、その中にはもちろん作品最大の謎にかかわるメインヒロイン「月宮あゆ」のシナリオも含まれている。そして作品のテーマは、ずばり「約束」である。

主人公は幼いころを過ごした「雪の街」に七年ぶりに帰ってくる。当時のことをほとんど覚えていない主人公だが、さまざまな少女たちと出会う中で、彼女らがかつて自分と交流を持っていた人物だと思い出していく。なぜ主人公は彼女らのことを忘れていたのか? そこには悲しい別れと交わした約束の物語があった……。

今作において「約束」とは、ヒロインと過ごしたかつての記憶を取り戻すためのトリガーとしてある。また過去の記憶自体、ノスタルジー的にひたる対象としてではなく、主人公とヒロインが置かれている苦境を打破するためのヒントを与えてくれるものとして位置づけられている。七年間の断絶が生んだ記憶の齟齬、誤解に基づくネガティブな感情を解きほぐすべく、主人公の記憶=回想シーンが反復されるのである。

またこのことは同時に、目の前にいるヒロインの抱えている心の問題に深く分け入っていくプロセスでもあり、主人公が記憶の連続性を取り戻していくのを眺めるにつれ、プレイヤーもまた特定のヒロインに感情移入していくことになる。『Kanon』もやはり選択分岐式のノベルゲームであるからして、あるひとりのヒロインのシナリオに突入した瞬間、その他のヒロインはモブキャラクター化・あるいは消失する(ように見える)。各シナリオのクライマックスではある種の魔術的な「奇跡」が起こるのだが*2、それも排他的なものであるかのように感じられてくる。「あるひとりのヒロインを選ぶと、他のヒロインはどうなるのか」という(擬似)問題として、「Kanon問題」とネット上で呼び習わされたのがそれである。

 

3. 『天体のメソッド』のメソッド

久弥が企画した『Kanon』に加え、比較対象として脚本のみ参加の『ONE』を紹介したが、やはり直接的に『天体のメソッド』で反復されているのは『Kanon』のモチーフやキーワードといえる。たとえば「約束」というキーワードの扱い方にしても、花火や流星群の観察といった「過去、実現できなかった約束」を違った形でふたたび「やり直す(反復する)」という展開が見られることから、それは窺える。

では『天体のメソッド』とは『Kanon』の単なる焼き直しなのか? もちろんそうではない。いくつか違いを挙げることはできるが、何より目を引くのは舞台となる町の上空に滞在する「円盤」の存在だろう。「円盤」はそのファンタジックな存在感から、『ONE』で描かれたような「もうひとつの世界」の象徴にもみえる。しかし最終回までご覧になった方ならお気づきの通り、今作においてそのような展開はいっさい起こらない。「円盤」というキーワードからSF的なスケール感の物語を想像していた視聴者の方は、さぞかし狐につままれたような気分を味わったことだろう。

久弥はEDテーマを担当したfhánaとの対談にて「キャラクターより、円盤がまず先にあった」という旨のことを述べている*3。つまり何よりもまず、『天体のメソッド』というオリジナルアニメーション企画を成立させるための道具立てだったということだ。このことから私が考えたのは、ノベルゲームという媒体で表現された『Kanon』の物語をアニメという媒体に置き換えるにあたって、不可避に導入されたのがこの「円盤」だったのではないかということである。公式サイトには、

出現当時は世界中を大混乱に陥れたが、
そこに留まるだけの円盤への恐怖心は消え、
次第に観光地となり、徐々に人々の興味も薄れて行った・・・
(「イントロダクション」より)

とある。つまりいかにもいわくありげな「円盤」ではあるのだが、主人公である乃々香が帰郷した時点=物語が始まる時点では、すでにいかなる意味合いも見出されていない代物なのである。主要キャラクターである五人――「円盤」を儀式によって呼び寄せた張本人たち――にとってのみ意味をもつのであり、「人々」……つまり物語にかかわることのないモブキャラクターにとっては、気に留めるべくもない「背景」にすぎない。

重要なのは、この設定によって「主要キャラクター/モブキャラクター」の峻別が、「円盤に意味を見出す者/見出さない者」という形で、同一の画面上で可能になっていることである。『Kanon』はノベルゲームであり、基本は「立ち絵」と呼ばれるヒロインと一対一で向き合うウィンドウに視界が制限されていたため、広がりをもった背景を描くことはできなかった。そうした制約が必然的にミニマムな人間関係の中での作劇を強い、「回想シーンの多用」や「もうひとつの世界の存在」といった方法論を洗練させていったのである。しかしアニメというメディアにおいては、背景およびそこに息づく無数のモブキャラクターを、描写しないわけにはいかない。ミニマムな人間関係の中での作劇を得意とする久弥がアニメという媒体でその作家性を十全に発揮するためには、「モブキャラクターにとっては背景にすぎないが、主要キャラクターにとっては重大な意味を持つ」円盤を、当の背景の中に配置するということが不可欠だったのではないだろうか。

 

4. 『Kanon』の反復、そして更新として

天体のメソッド』の主要キャラクターには、『Kanon』の主要キャラクターの立ち位置が、それぞれ明確に割り振られている。まず主人公の乃々香であるが、彼女については両親の名前に注目したい。父は「修一」、母は「花織」といい、この発音から「修一=相沢祐一」、「花織=美坂栞」と、『Kanon』の主人公とヒロインのひとりとの対応関係を見てとることは容易いだろう。母・花織と美坂栞は、「病で命を落とす」というところも共通している。第一話、早朝のキッチンで修一が花織の幻影を見てしまうシーンに、『天体のメソッド』が(Keyの後期作品『CLANNAD』になぞらえて)『Kanon ~After Story~』であるかのような印象を抱いた視聴者も少なくないのではないだろうか。「栞と結ばれたが、病により妻を失ってしまった祐一……の、娘の物語」として『天体のメソッド』を観ることも可能なのである。

その他のキャラクターについて。主人公とさしたる確執がなく、困ったときには真っ先に力になってくれるキャラクターとして、こはるは水瀬名雪と対応しているといえる。柚季は、「円盤」という象徴的なものを敵性と見なしている点、対となるキャラクター(湊太)が存在している点から、自らの心の影が生み出した「魔物」退治に明け暮れ、倉田佐祐理という対となるキャラクターが存在する、川澄舞との対応関係が認められるだろう。主人公に対して複雑な愛憎を抱えている汐音は、同じく主人公への(愛情の裏返しとしての)「復讐」を目的とする沢渡真琴に対応している*4

Kanon』で残るヒロインといえばメインヒロインである月宮あゆだが、これは言わずもがなノエルに対応している。しかしこの両者については大きな違いが認められるのであって、その点こそが『天体のメソッド』が『Kanon』の単なる焼き直しでなく、その更新を図った作品だといえるポイントでもある。

あゆは身ひとつで奇跡を体現する存在である。その奇跡は彼女と祐一が交わした「約束」の時点……確定した過去の一時点を起源としているがゆえに、「誰かが使ってしまえば、次の誰かは使うことのできないもの」として理解される。ところで『Kanon』には京都アニメーション制作によるアニメ版があるが、このアニメ版がこうしたいわゆる「Kanon問題」に、ひとつの解答を示している。最終話、アニメ化にあたって付け足されたオリジナルのパートから、相沢祐一美坂栞のやり取りを抜粋する。

祐一「願いごとはひとつじゃないのか?」
栞 「その子が何を願ったかは判りません。でも、もしかしたら、その子の大好きな誰かにずっと笑っていてほしい……そんな風に願ったんじゃないでしょうか。そのためには、周りの人たちもみんな幸せでなければならないでしょう?」
(第24話「夢の果ての追復曲~kanon~」より)

アニメ版ではすべてのヒロインの顛末に奇跡が降り注ぐ。栞の病気は癒え、名雪の母親は事故から生還し、舞の「魔物」も消滅する。それはとりもなおさずアニメ版の祐一が、すべてのヒロインに対して積極的にかかわり、その問題解決に奔走したからなのだが、彼がそのようにして「周りの人たち」の範囲を拡げていったからこそ、あゆの「祐一に幸せになってほしい」という願いがもたらす「奇跡」の範囲も拡張されたというのである。しかし、しばしば視聴者からも指摘されるように、アニメ版の祐一はいささか早急に複数のヒロインの問題解決をしすぎであり、端的に忙しそうである。その縦横無尽ぶりは、ちょっと余人には真似できそうにない。

ノエルという存在は、この『Kanon』原作版からアニメ版にあたってなされた変更を実現する手立てを、「主人公が頑張ればよい」という根性論ではない形で……まさしく再現可能な「メソッド」として、体現しているのだといえる。ノエルは「円盤」そのものであるというそのファンタジックな存在感に反して、奇跡のような力を振るうことはない。ただ誰かの思いが込められた物――思い出の写真が収められたアルバムや、星柄のクッションなど――を、他の誰かのもとに運ぶだけだ。そこで果たされているのは「媒介者」としての機能である。ひとりの身体が空間的・時間的に占める位置は有限だ。ゆえに「主体的に」人との関係性を作り出そうとすれば、空間的に動き回る必要が生じる。しかしそうしてせわしく動き回らずとも、ノエルのような媒介者に「ゆだねる」ことによって、関係性を新たに作り出すことができるのだ。そこではもはや関係性を「作り出そうとする」主体というものはおらず、媒介者こそが中心となって、周囲に関係性が「作り出されていく」モデルだけが存在する。『天体のメソッド』が『Kanon』を更新した点があるとすれば、このような新しい共同性のモデルの提示に他ならない。

 

5. おわりに――いまひとたび、ノエルについて

このように純粋に機能的な存在としてノエルをとらえると、不可解に思えてくるのは第12話・第13話で、乃々香がノエルを呼び戻そうとする展開である。そもそも円盤という存在が『天体のメソッド』というアニメーション企画を成立させるマッチポンプとしての側面を持っていたことは、先に確認した通りだ。ノエルは媒介者としての役割を終え、円盤もまた消滅した。それは物語が始まる前の地点に立ち戻ったということで(しかしすべてのわだかまりは解消されている)、悲しむべきことなど何もないはずである。

にもかかわらず、乃々香はノエルを呼び戻すべく奔走する。それは彼女にノエルという存在の記憶が残ってしまっているからだが、ではなぜ彼女だけにそのような特別な立場が与えられているのだろうか。先回りして言えば、それは彼女が「主人公」であるからに他ならない。ここで私たちはノベルゲームにひとたび立ち戻ることになる。ノベルゲームの「主人公」とはプレイヤーと視点を共有する存在だ。主人公とプレイヤーは回想シーンの執拗な反復によって「あるはずのない記憶」を共有し、目の前のヒロイン(キャラクター)への感情移入をもシンクロさせていく。このプロセスと同様に、ノエルが消失した時点で、乃々香だけが、私たち視聴者にしか持ち得ない情報を共有している。そう、「ノエル」というキャラクターが存在したという事実である。乃々香だけが第12話の始まった時点で、視聴者の高まりきったノエルへの感情移入を、記憶として保存しているのだ。つまり最終二話における乃々香の行動とは、視聴者それぞれがノエルというキャラクターに抱いた「愛らしい」「けなげだ」「消えてしまって悲しい」といった心情を、代理しているものなのである。

作品内部で起こるドラマは、すでに第11話で解決をみている。最終二話とは、視聴者に対するキャラクター側からの応答として読みとれるものであり、それまでの物語とは根本的に位相を異にするものだ。「ノエルが帰ってくる」ということの意味は作品内部に求められるものではなく、ノエルというキャラクターに愛着の視線を注いできた視聴者に対する、救済措置なのである。そう考えることで、最終話Cパートの画面処理が明らかに本編と異なっていることの意味も、正確に理解することができるようになるだろう。かろうじて「ノエル」と同定できるだけの図像的特徴を保ったまま、テクスチャとしては違和感を持たせることで、『天体のメソッド』という「物語」から離れてノエルという「キャラクター」が自立したということを、あのCパートでは表現しているのである。

純粋に機能的であるはずの対象に、愛着をおぼえてしまうこと。ノエルが呼び戻されねばならなかった理由を考えるとき、そこにはキャラクターという概念そのものへの不思議さが立ち上がってくる。人の似姿をし、固有の声を持ち、呼びかけに応えてくれる。こうした条件を備えるだけで、対象を「キャラクター」として見なすことができるのだろうか。またこう問いかけてもいいのかもしれない。久弥自身「かぎりなく純粋な存在」*5として描き出したというノエルとは、「キャラクター」という概念そのものが持つ無垢さ、純粋さというものが、形をとって表れた姿なのかもしれない、と。

*1:天体のメソッド』イメージアルバム『ソナタとインタリュード』ブックレット所収「『天体のメソッド』の奇跡 久弥直樹×fhána対談」より。

*2:「奇跡」の対価となっているのは七年前の事故によって現在は昏睡状態にあり、生霊として街を彷徨っている月見あゆの「願い」である。その「願い」とは主人公である相沢祐一の幸福であり(ゆえに、回復の見込みがないと悟った自らについて忘却されることもその内には含まれている)、だからこそ祐一が他のヒロインを選んだ際にもあゆは現れ、その道行きを祝福する。あゆはヒロインでありながら、作品全体に通底する「奇跡」の体現者であり、その両義性は自己犠牲の精神からくるある種の痛々しさを、彼女の身にまとわせている。

*3:久弥「〔…〕円盤というものから今のかたちに動き出していった感じですね。登場人物よりまず円盤が先でした」(『ソナタとインターリュード』所収の前掲インタビューより)

*4:もっともこの二人については、柚季・真琴が天真爛漫なにぎやかしキャラ、汐音・舞が無口無愛想キャラということで、性格付けに関しては綺麗に逆転しているのだが。

*5:久弥「ノエルって純粋さや無邪気さが重要であって、そこにちょっとでも大人びた部分が出るのはよくない。〔…〕とにかく本当の無邪気さを描く、というのを気をつけていましたね」(『ソナタとインターリュード』所収の前掲インタビューより)