読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「批評再生塾」参加のご報告とか

気づけば3ヶ月もブログを書いていなかった。

ひとつには書くほどの題材がなかった(逆をいえば「題材」がなければブログを書いてはいけないという思い込みがあった)というのと、もうひとつはとある理由によりネタを小出しにするべきではないと考えていたからだ。

 

で、その「とある理由」というのが今回の本題なのだけど、東浩紀氏が代表を務めるゲンロンが主催し、佐々木敦氏が主任講師を務める「批評再生塾」に参加することにした。

我ながら思い切った決断をしたものだと思う。「麻枝准トリビュート」を作って出し切ったと思っていたものが、いまだにくすぶり続けていると感じられたからか。昨年同ゲンロンが主催する創作の講座に参加し、手応えを得られなかったというのもあるかもしれない(講師の方々のお話自体は面白かった)。

ちなみにその講座の記録は書籍化もされているのだけど、今回「批評再生塾」に参加するにあたって参加者一覧のほうからは名前を削除してもらっている。

初めて名前(ペンネームだけど)が載る本が、ろくな成果も挙げられなかった企画の本では格好悪いな、などと考えてしまって。つまりは今回、「批評再生塾」では同じ轍は踏まないぞ、という気合いが入っているわけで。

 

なんでか、昨年創作の講座に参加した際には、まだ「(小説に限らず)創作ができる人間が王で、そうでなければ人生意味なんてない」という考え方に縛られていた。

でもまあ、創作というのが全然できなくて、それでも本業のほうでは手応えのある仕事ができたりして、生きている意味というのは「創作」ということができなくても得られるもんだなと思えてしまったのも事実で。

ただそれでも何か書きたい、言いたいという気持ちはあったので、今回新たにその場を求めたという感じだ。

(自分で同人誌を主宰するというのも考えなかったわけではないけど、自分は人にものを頼んだり連帯を組むというのがどうも苦手で……こういうプログラムに参加することで「こいつはなんだか面白いぞ」と不特定多数の人に思ってもらうほうがイメージしやすいなと。怠慢といえば怠慢ですが……)

 

プログラムを通しての抱負というのはあって、「セカイ系」とか「ゼロ年代」といったものにポジティブな光を当てたいなというのがそれ。「麻枝准トリビュート」を作った際にも感じたことだけど、「セカイ系」とか「ゼロ年代」とか、そういったキーワードの下に括られる作品だけが共有している“何か”があって、それは単なる懐古趣味じゃない。今ほど“つながる”ことが簡単ではなかった時代、“見果てぬもの”の存在をぎりぎり信じられた時代の精神性とでも言おうか。「つながりすぎる」時代に「連帯しない」ことの勇気みたいなものが、こうした作品に光を当てることで照らし出されるんじゃないかと思ったり。

具体的にはその集大成として、Charlotteについての文章を書いて、東浩紀に「Charlotteっていい作品だったのでは?」と思わせることが目標です。

麻枝准トリビュート」では時間がなかったこともあり「こういう風に見れば良かったともいえるんじゃないか?」という落としどころになっているのですが、その“消化しきれなさ”はやがて人生における巨大な“謎”となり、BDも全巻買って毎日考察を深めているうちにベタに「好き」といえるレベルまで愛着がわいてしまって。ただこういう「好き」のなり方というのはだいぶねじれている自覚はあるので、だったら他人に、それもAIR論、ONE論を収録して一世を風靡した(?)『ゲーム的リアリズムの誕生』の著者である東浩紀氏を納得させることができれば、この「好き」も本物になるんじゃないかと。そもそも自分がKeyを好きになれたのも半分は『ゲーリア』のおかげだし……(もう半分は京アニ)。ちなみにこの本が出版されたのも京アニCLANNADが放送されたのも、ちょうど今から10年前、2007年なんですよね。この年は自分が大学に入学した年でもあり……そんな奇妙な符合も今回のプログラム参加の後押しになっていたり。

 

そんなわけで6月からよろしくお願いします(2週間に1回特設サイトで5000字程度の文章が載ることになる、力尽きなければ……)。書けば書くほど「書く」筋力はついていくと思うので、ブログのほうにもよりカジュアルに色々書いていきたい所存。

あとWebラジオとかやってみたいですね。提出した課題文に対して自己解題するとかも面白そう。時にはゲストを呼んだりして……プログラムを見るかぎり絶対に言い足りないことは出てくるはずなので(講師陣はめちゃくちゃ豪華なのだけど、アニメやノベルゲームを直接対象にできる機会は少なそう)。

 

楽しくやっていきたいと思います。