『Summer Pockets』感想

(2020.07.25追記)シナリオ追加・演出強化などのアップデートがなされた『Summer Pockets REFLECTION BLUE』が2020年発売された。感想記事は以下。

※以下、『Summer Pockets』本編のネタバレありにつき注意。

6月29日に発売されたKeyの新作『Summer Pockets』。2016年末の発表よりむろん心待ちにしていた。
今作発売までの間には麻枝准氏の入院、樋上いたる都乃河勇人両氏の脱退などKeyというブランドにとっての大きな危機があった。しかしそういうときだからこそKeyというブランドの輝きが増すのではないかとの思いも同時に持っていた。

自分は、Keyの主題とは「不在を埋めること」「意志を継承していくこと」だと考えている。(詳しくは過去に書いた記事を参照してほしい)

メインスタッフの多くが不在の状況で作られ始めた今作は存在自体が「Key的」と言うことができ、ゆえに最高傑作たりうるのではないかというわけだ。事前に公開されていたテーマ曲「アルカテイル」の「歩き続けることでしか残せないものがあるよ」というフレーズにも、直接的にその決意が込められているように思えてならなかった。

ボリューム的には直近のKey大型作品(『CLANNAD』や『リトルバスターズ!』)と比べれば短めだが、十分遊び尽くせるといった案配。体感プレイ時間は共通部分が2時間、各個別シナリオ(×4キャラクター分)が3時間ずつ。その後のグランドシナリオは5時間ほど……とすると総プレイ時間は20時間くらいかと。(もちろんミニゲームをやりこんだりすればもっと増える。リズムゲームに近いインターフェースの卓球ゲームはタブレットPCでやると非常に楽しい)

本作では「ノスタルジー」をキーワードに、「夏休み」というものを概念的に捉え直している(原案としてクレジットされている麻枝氏から提示された先行作品は『ぼくのなつやすみ』だという*1)。夏休みは「青春」とは違って「卒業しなきゃならない」ものではない。また夏は巡ってくるし、傷ついたらいつでも戻って来れるそんな時間/場所。終わりがあり、常になつかしく、くり返すもの……

最終シナリオにおけるとある人物のセリフに本作の「夏休み」観が凝縮されている。

どこにでも行ける翼があるとするね
過去にも未来にも飛んでいけるの
例えば、過去とか未来とか、いろんなものの境目がなくなったとしたら
それってどういうことなんだろう
それって自由なのかな
逆にどこにも行けなくなってるだけじゃないのかな
私には大きな籠の中に閉じ込められてるようなイメージに見えるの
夏休みだってそうだよ
7月の下旬にはじまって、8月で終わる
だからいいんだよ
それがずっと夏休みだよなんて言われたら……
自由なように見えて……それは、大きな籠の中に閉じ込められてるのと同じなのかもしれない

Key作品はクオリティ優先で発売日を引き延ばすことも常だったと聞くが、今回はマスターアップまでのカウントダウン(「発売までの」ではなく、ですよ!)などもして進行が順調であることを伺わせていた。「夏休み」がテーマで、新しい「夏休み」が始まるというところで終わるこの作品を、この時期に発売できたということはとても大きい。

どの時期にどれくらいの時間をかけてプレイするかということは、たった数年前と比べてさえ細切れの時間を生きるようになった私たちにとってはとても大事なことで。クオリティはもちろん大事であるが、ディレクターも兼ねている魁氏をはじめとしたスタッフたちの戦いが「この夏に間に合わせる」というところにもあったのだとしたら、それは評価されるべきことだし、していきたいと思う。 

シナリオの感想

共通設定として、主人公の鷹原羽依里は有望な水泳選手だったがリレーの試合中に泳げなくなり(いわゆるイップス)、部活をやめて荒れた生活を送るようになる。やがて暴力沙汰に関わったことが親や学校に露見し停学処分となり、夏休みを利用して親戚の住む「鳥白島」に来ている……というものがある。 

鳴瀬 しろは

海神を祀る神社の家系の娘である彼女は未来が視えるという。幼い頃クラスメートが事故に遭う光景を視てしまったことをきっかけに「呪いをかけた」と噂されるようになり、自ら他人と距離を置く性格になっていた。それを余所者である主人公の介入で解きほぐしていくのだが、設定の根幹に触れる能力を持つ彼女だけにこのシナリオ単体ではいまいち盛り上がりにかける印象。「呪いをかけた」とか本気にしているのは専ら年配の世代であり、同年代の脇キャラは大して本気にしていない……ということでいろいろ世話を焼いてくれる、その幼馴染感の描写はよかった。メインヒロインということで、シナリオ担当の中で一番上にクレジットされている新島夕氏が担当していると思われる。

空門 蒼

しろはが海の巫女なら蒼は山の巫女。死者の残留思念が蝶の形をとった「七影蝶」を黄泉の国へと還す祭事を担っているという。ただ彼女はその役目とは別にある特別な記憶を持った七影蝶を探していた。それは幼い頃迷子になった自分を探す過程で事故に遭い、いまでも眠り続けているという双子の姉の記憶であった……。
ロゴにもあしらわれておりシナリオの全体を理解する上でも重要な「七影蝶」が登場。このシナリオ単体では個人的な問題の解決(姉の記憶探し)に終始しクエスト的に進行するので尻切れトンボ感はない……のだが、終盤の展開・演出にはくどさを感じる。蒼のキャラ自体は悪くないのだが、他シナリオでは友人ポジションなので恋愛展開に持っていくために多少力技を使っている感はあるなと。他の3シナリオの担当がほぼ確実なので、消去法的に魁氏が担当か(キャラ設定的にも紫髪・双子・女友達と魁氏が担当したCLANNADの杏を想起させる)。

久島 鴎

結論からいうと彼女はあゆ‐風子の系譜に属する生霊的な存在である。本体は遠く異国の地で眠りについているのだという。
10年前、ささやかな冒険ごっこを通じて仲良くなった友達との約束を胸に当時隠したお宝を探しに島に戻ってきたのだというが、そのエピソード自体が病気がちな彼女のために作家である母親が彼女をモデルにしたためた物語だった。しかしその物語が本になって出版されたことで「読者」という名のたくさんの「幼馴染」が彼女にはできていた。“カモメ”というヒロインのファンになった子供たちがたくさんいたのだ。主人公の羽依里もそのひとりで、過去にファンレターを送ってもいた。
クライマックスでは同じように“カモメ”に手紙を出していた子供たちに羽依里が招待状を返送し、集まったかつての子供たちに物語に描かれた冒険譚をオリエンテーリングとして提供する。姿を消していた鴎も戻ってきてその光景を見届ける。「ここにいない」はずの生霊的存在が本来つながらなかった人々を集わせるという光景はCLANNAD風子シナリオの結婚式シーンを思い出させる。「夏の冒険」というこの作品らしい意匠を盛り込みつつ、作中作というガジェットを用いてブリッジしたのは新島夕氏の過去作を思わせる手つき。これまでのKeyのモチーフを拾いつつライターの個性も出した完成度の高いシナリオといえるのだが、個人的には涙を流すまでには至らなかった。おそらく演出の問題で、たとえば羽依里の招待した読者がたくさん集まっている光景の一枚絵があるだけでも全然違ったのではないかと思う(アニメ化に期待したい)。

ヴェンダース

大号泣……。ベタな話といえばベタな話(ネタ的にはCLANNAD美佐枝さんシナリオが近いと言えばだいたい伝わるだろう)なのだけど、演出もテキストによる作中時間のコントロールも個別シナリオの中ではずば抜けていた。
キャラの好感度的には他の3人に比べても高くなかった。「むぎゅ」とかいう口癖も含めてわりとあざとさを感じてしまったというか……しかしそれを緩和する存在として静久というキャラがいるのがよかった。2人だけの閉じた関係を作ろうとするのではなく、3人組で夏の思い出を作ろうとなる。そこに次第に他の連中も加わっていき……(最終ルートを除けば)すべての攻略ヒロインがお話に絡む唯一のシナリオでもある。
夏休みの間に一生分の思い出を作った主人公たち。残された2人の別れ際、「あの子(紬)は夏休みだったのよ」という静久の言葉がすべてを物語っている。紬と過ごした時間ではなく、紬という存在自体が夏休みのようなものだったと。「夏休み」のキャラクター化。いつか終わることを知っていて、それでも全力で駆け抜けずにはいられない……
挿入歌(これが流れるタイミングがやばい)の作詞を「ハサマ」氏が手がけているので、シナリオ担当は氏で確定かと。知らない方だったので発売前は不安視していたのだが、良い意味で見事に裏切ってくれた。

ALKA/Pocket

最終シナリオ。RewriteにおけるMoon/Terraのように二段構えになっている(ただしMoon/Terraと違って、文章量は圧倒的にALKAのほうが多い)。

まず押さえておかなければならないこととして、共通シナリオにおいて日常を象徴する「うみ」というキャラクターがいる。羽依里のはとこにあたるという10歳くらいの女の子なのだが……2キャラをクリアした時点で日常シーンにおける彼女のキャラ性が変化する。最初は誰に対しても丁寧語でしっかり者な印象だったのが、どんどん子供っぽく……いや、幼児化していくのだ。少し他人行儀な主人公との距離感(実は理由があり、後述する)が好きだったので、この変化には戸惑いも覚えてしまった。しかも微妙にテキストが変化したことにより既読スキップが不可能になるので、メタレベル(テキストを読んでいるプレイヤーとしてのレベル)で彼女への好感度が下がっていくという大きな問題が……ともあれこの変化により作品世界がオブジェクトレベル(キャラクターの存在しているレベル)でもループしていると示唆される。だが単純なループではないのではという示唆もあって、少なくとも並行世界モデルではなさそうだなと。しろはルートで一瞬彼女に乗り移る形で神?のような存在が「私たちは時の編み人……」とか言うシーンがあるのだが、今作では時間というものが「編まれる」ものとしてイメージされているようなのだ。

以上を踏まえた上でALKAシナリオの本筋へ。幼児化したうみとしろはと主人公は夏休みの思い出作りに擬似家族を形成する。やがて明かされるのはうみは実はしろはと主人公の娘であり、実現されなかった三人での親子関係を求めていたということ。しろははうみの出産時に死亡しており、その後うみと羽依里は良好な父娘関係を築くことができなかった(CLANNAD!)。そこでうみは島の巫女としての能力を発動させ、過去へとワープしてきたのだった。

ここで島の巫女の能力について詳細が明かされる。それは寂しさやつらさを抱えたときに「楽しかったあの頃」に心だけを戻すことができるというもの(その際に七影蝶の姿をとる)。しろはシナリオで未来視だと思われていたのは、実は彼女がこの能力によって何度も同じ夏をくり返していたからなのだった。うみは両親に会いに過去へとやってきたが(身体ごとなのはイレギュラーらしい)、それによってしろはにはうみとの思い出が「生まれてしまった」。まさに卵が先か鶏が先か、という状態に陥り、しろはも「あの頃」を求めて無限ループに囚われてしまったのだ。

そう、本作において実はループ主体となっているのは主人公の羽依里ではなく、ヒロインのしろはとその娘であるうみなのである。プレイヤーが見てきたのは蝶になったうみが見た様々な「夏休み」のあり方。しろはと羽依里が結ばれないルートでは当然うみは存在できないが、それによって「正しくない」夏休みということにはならない。ひとつの楽しい「夏休み」のあり方を見せてくれたという意味で、うみにとっても大切なものなのである(現に、本作ではすべてのテキストを読み終えたあとに4人のヒロインが並列に描かれた最初のイラストに戻る。ALKA/Pocketシナリオの結末は決して「TRUE」エンドではない)。くり返してきたすべての時間がモザイク状に重なり合って、ひとつの「夏休み」という情景を浮かび上がらせる。それが時が「編まれる」というモデルである。

Pocketシナリオにおいてはそもそもしろはが過去へ戻る能力を得なければいい=「あの頃」を求める気持ちを持たなければいいとのことで、彼女が両親を失い、能力を得てしまった幼少期へと遡行する。この遡行する主体はうみをベースにした複数の七影蝶の集合体であり、「七海」という仮初の名前をもって受肉する。このCVを務めるのがそれまで「語り部」としてクレジットされていた花澤香菜で、彼(中性的に描かれているが、「僕」と言っているので便宜上こう呼ぶ)こそが「時の編み人」=すべてのシナリオを見てきたプレイヤーに相当する存在だといえる。
「七海」は自らの身体を構成していた七影蝶をしろはに分け与えることで様々な「夏休み」のあり方を見せる。両親はいなくなってしまったかもしれない、それでもこんなに楽しい夏休みが待っているのだよと……これによりしろはは過去へ戻る能力を身につけることなく、未来を見据えて歩いていけるようになる。しかしそれはうみとの因果が切れるということも意味しており、うみという存在がまた産まれてくるのか、そもそもしろはと羽依里はまた出会えるのか、ということは白紙になる。

そして数年後――というところでエピローグ。

総評

プロダクトとして

さて、実際に最高傑作といえる出来になっていたのかだが……一言でいえば「Keyの新たなスタンダードとなりうる」作品であったなと。

マスターアップまでのカウントダウンができるほどにスケジューリングがしっかりしていたことをはじめ、音楽面、ビジュアル面、インターフェースの操作性……どれをとっても高水準だった。特に音楽に関しては間違いなくこれまでにない高みに達していると思う。舞台が小さな島であり、一ヶ月間という短い期間を描く物語だということもあるが、ギラつく日差し、青空と海の透明感、虫の鳴く夜の静けさ……それらのトータルなパッケージとしての「島で過ごす夏」が見事に組曲のようにして表現されている。複数の作曲家が書いているとは思えないまとまり感があり、今回初めて「サウンドプロデューサー」という肩書きを背負った折戸伸治氏の貢献は大きいだろう。やはりKeyにとっての生命線は音楽だと実感できた。

ビジュアル面のクオリティも総じて高かった。立ち絵を担当する原画家はゲストを含め4人だが、各担当のキャラが並んで表示されたときにも驚くほど違和感がなかった。リトバス以来メインを張ったNa-Ga氏はもちろん、今回からKeyに加わったという若手の「ふゆむん」氏もとても魅力的なキャラクターデザインされていたので、今後の活躍に期待したい。

シナリオ面

そして肝心のシナリオ面であるが、麻枝氏が付録の冊子でこんなことを言っていた。

ラストシーンのテキストを確認し終えた後、「惜しい!」と感じました。ここに至るまでにたくさんのものを積み上げてきたのに、あまりに短かったため「これで終わりなの?」という肩すかし感を覚えました。

相変わらずの「あ、そういうこと言っちゃうのね……」な発言である。まあ、確かに言われてみればそんな気もしたのだが、しかしそのすっと終わっていく感じが本作のテーマ性には合っていた気もしている。というのも冒頭に引用した作中のセリフにもあったように、本作における夏休みとは「終わるからこそ、いい」ものとして提示されているわけで。そしてそれは「ノスタルジー」に重きを置く姿勢と矛盾しない。そこで憧憬されているのは、無時間的で普遍的な風景としての「夏」なのだ。

実は作中の年代は2000年の夏であることがALKAシナリオで判明する(それまでも携帯は登場しなかったり、ED曲の歌詞に「MD」というワードが入っていたりと伏線はあるのだが)。言わずもがな2000年とは『AIR』の発売された年であり、当時からのKeyファンに向けたサービス、あるいは「ゼロ年代というループを終わらせる話なのだ」といった物言いも直ちに思い浮かぶ。しかし個人的にはそういう「文脈」はどうでもよくって、自然と戯れながら夏を過ごすキャラクターたちの様子が本当に楽しそうで、島の暮らしっていいな、携帯のない生活っていいなと素朴に思わせてくれることがこの作品の何よりの価値だったと思っている(ちなみに自分は事前に「聖地」である直島・男木島に行ってきたのだが、プレイしながらも当地の空気感が思い出され本当に正解だった)。環境音楽のようにして、夏がくる度にプレイしたいと思わせる心地よい空気感。「泣き」と「笑い」の極端なコントラストを重視する麻枝体制では生まれなかっただろう魅力を、本作は確かに持っている。

また「泣き」の部分……シナリオの「深み」を担う部分に関しても、過去のKey作品の主題を総合し、さらに更新するようなことになっている。「AIRのような親子愛がテーマになっている」とは麻枝氏の弁であるが、ループ主体が主人公から子供(うみ)に移ったことで「主人公がヒロインを救う」から「ヒロインが主人公を救う」も飛び越えて、「子が親を救う」構造になっているのだ。その過程では同世代のメンバーをはじめとした島民との交流も描かれており、『リトバス』以降目立つようになったと言われる共同体への志向性も。ヨコの関係性(共同体)がタテの関係性(親子)を救うという物語構造は、村上裕一氏がかつて『カゲロウプロジェクト』を引き合いにKeyの発展形として提示していたビジョンであるが*2、それがまさに今回Keyのナンバリングタイトルとして具現化されたのは興味深い。

さらにこうした構造の対比は、今回メインを担当した新島夕氏と麻枝氏の対比としても捉えることができる。『はつゆきさくら』『魔女こいにっき』『恋×シンアイ彼女』と3作品プレイしてみての所感だが、新島氏が企画・メインシナリオを手がけた作品には「夢だったとしても幸せな夢だったらいいじゃん」とでも言いたげな世界観があり、そんな「夢」を提供するものとして「物語」という抽象概念を位置付けている。新島氏の描く「物語」の外にメタレベルは存在しないのだ(鴎シナリオの感想でも触れた作中作というガジェットについても、「物語」の外にではなく中にプレイヤーの居場所=メタ的な位相を作るべく用いられている印象がある)。これはプレイヤーの属する現実と作中世界を並行世界などの設定を用いてつなげるゲーム的リアリズム麻枝准的な処理とはある意味対極にあるスタンスとも言えるだろう。並行世界モデルにおいては、すべての分岐可能性を救うために特権的な存在としての主人公がメタレベルでの解決を試みる、という展開が常套である。その際に同じくメタレベルに存在する真ヒロインとの「約束」が主人公を突き動かす原動力になるわけだが(CLANNADの幻想世界の少女と「僕」、Rewriteの篝と瑚太朗に典型的)、今作ではそもそも主人公はループ主体ではない。個別シナリオのED曲「Lasting Moment」は新島氏が作詞しているが、その歌詞にある「約束のない永遠の中 いくつもの物語があふれてくるよ」というフレーズはこの対比の妥当性を裏付けてくれるものだろう(もっとも、今回「娘がループする」ということまで麻枝氏が考えている可能性もあるが)。

もうひとりのゲストライター、ハサマ氏の紬シナリオもよかったし、上述したような「Key的」なるシナリオ構造のリバースエンジニアリングを都度行うことができれば、ゲストライターも適宜迎えつつ新作を世に問い続けていくことができるのではないだろうか。

(なんだか批判するような形になってしまったので付け足しておくと……麻枝氏が書き下ろしたボーカル曲「ポケットをふくらませて」および、そこから派生する形で作られた数曲のBGMはbermei.inazawa氏のアレンジも相まって圧倒的な強度を備えていた。今回は折戸氏が座った「音楽プロデューサー」の位置に、麻枝氏が座った作品というのも見てみたいかもしれない)

今後に向けて

今回築き上げた体制を元に、大作至上主義から転換し舞台やテーマをコンパクトに絞った作品をコンスタントにリリースし続けることができれば、これまでとはまた違った形でKeyというブランドの存在感が増してくることも考えられる。Keyを超えられるのは、やはりKeyだけだ。今作をプレイして、個人的にはその可能性は十分にあるなと感じられた。

また、そういうことを抜きにしても空気感がとても良い、実際に直島などに行きたくなる素敵な作品である。夏はまだこれから。ぜひ多くの人にプレイしてもらいたいと思う。