第2話およびOP映像から見えてきた、「Key/麻枝准的主題」の総決算としての『Charlotte』という可能性

『Charlotte』第2話が放送され早くも物語の核心に迫る設定が次々と開示されている。とくに友利の兄についての叙述は衝撃だった。襲いくる「過酷」にキャラクターが翻弄されるのは麻枝作品ではおなじみの図式だが、掴みどころがなくいまだ感情移入の難しい友利奈緒というキャラクターについてそれが語られたことでこれまでにない後味の悪さを残している。

友利からその兄との顛末を聞いた主人公の乙坂有宇は自身にも妹がいることを思い、もし自分が被験者として捕まってしまったら…と生徒会の活動に歩み寄る姿勢を見せている。友利の兄には決断の機会すら与えられなかった「妹を守る」という意思が乙坂有宇において反復されるのだ。今後「有宇」と「奈緒」のラブストーリーに発展していくのだとしても(OP映像でのスカイダイビング!)、それは同時に「友利兄妹」「乙坂兄妹」の関係性を相互に照射したものでもあり、Key/麻枝作品に通底する「家族」という主題を浮き彫りにする。

ところでこの「家族」という主題。親‐子を軸とした縦の関係性、血縁的な共同性を志向してきた麻枝が、『CLANNAD』から『リトルバスターズ!』に至って血縁を介さない「孤児たちの共同体」、縦の関係性から横の関係性へと変質してきたということは批評家の村上裕一などによっても指摘されてきたことだが(『ネトウヨ化する日本』)、親は不在なものの『Charlotte』においてはきょうだいという血縁的な関係性に回帰しているように見えるのは興味深い(3話から登場すると思われる西森柚咲・美砂も姉妹である)。しかしこれに関してはそもそも村上らの見立てが誤りであったと言うことも可能である。そもそも『リトルバスターズ!』とは麻枝の引退作および後進へのバトンタッチを企図して企画された作品であり、ゲーム制作自体にもなぞらえられる「チーム性」がクローズアップされたのもその意味できわめて例外的な事態といえる。麻枝は共同性ということを考えるとき、「家族(血縁的共同体)」ということにしか興味がないのではないか。

その予感を確信に変えるかもしれないのが、OP映像にシルエットがちらりと映る五人組の存在である。髪型や髪の色から、そのリーダー格と思しき青年は放送前に発表されたキービジュアルの内の二枚目、実験施設の地下通路のような場所で乙坂(と思しき人物)と共に描かれていた人物=1話で乙坂が見た「夢」の中に登場した人物であると見受けられ、もしそうであるならば彼は乙坂のかつての「家族」ということになる。何らかの理由で乙坂兄妹の記憶から消え、現在は四人の「同志」とともに活動しているらしき彼はおそらく友利ら生徒会をバックアップし、保護という名目の下能力者を管理している一団に対するレジスタンス的な組織であろう。つまり『リトルバスターズ!』的な孤児たちの共同体は、『Charlotte』において主人公サイドの敵対勢力、あるいは「こうなっていたかもしれない自分」の像として立ちはだかってくるのである。それは血縁的関係を基礎にした巨大な互助システム――『CLANNAD』における「街」を想起してもいい――に対して疑問符を投げかける行為であり、その上で乙坂有宇がどのような選択をするのかというのは、麻枝自身が自身の共同体観をあらためて宣言することにもつながるだろう。

第1話では『CLANNAD古河渚役の中原麻衣と『リトルバスターズ!棗鈴役のたみやすともえ、第2話では『リトルバスターズ!』宮沢謙吾役の織田優成がゲスト出演するなど、麻枝のこれまでのキャリアを総決算するかのような仕掛けが随所に顔を覗かせる今作。単体のアニメとしての視聴に耐えうる非常に完成度の高い作りになっているが、これまでのKey/麻枝作品の系譜と照らし合わせつつ観てみるのもまた面白いかもしれない。