2015-01-01から1年間の記事一覧

BUMP OF CHICKENの「紅白歌合戦」出演に寄せる、ただの個人的な感慨

藤原基央は最初から人間だった。当たり前のことだ。そもそもBUMP OF CHICKENというバンドの一員なのだし、その他のスタッフの存在なくしてレコードは作れない。しかし彼の佇まいには、あくまで人間――「人」の「間」で生きるもの――であることを拒むような、他…

瞬間を閉じ込めた永遠――『ハイ☆スピード! -Free! Starting Days-』が京都アニメーションの最高傑作である理由

『ハイ☆スピード! -Free! Starting Days-』(以下『ハイ☆スピード!』)は京都アニメーションの最高傑作である。いやアニメーションの歴史を塗り替える一作と言っても過言ではない。この稿を最後まで書き上げて、そのような確信に至っている。 まずは「京都…

【既プレイ者向け】『サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-』雑感

※以下、『サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-』の重要なネタバレを含んでいるのでお気をつけください。 『サクラノ詩』は都合『素晴らしき日々』のテーマ性を延長したその先にある作品と考えられる。それは語りえないもの=神秘を浮き彫りにしたその先……言語によ…

合同誌『Life is like a Melody―麻枝准トリビュート』に編集協力として参加しました。

11/23(月祝)文学フリマ東京にて、編集協力として携わった一冊『Life is like a Melody―麻枝准トリビュート』が初頒布となります(評論も一本寄稿しています)。 『Life is like a Melody―麻枝准トリビュート』特設サイト 編集協力、といって何をしたのか?…

『Kanon』の追復曲(カノン)としての『天体のメソッド』――久弥直樹試論

11月23日(月祝)の文学フリマにて頒布予定、現在絶賛編集中の合同誌『Life is like a Melody ――麻枝准トリビュート』に寄稿予定の麻枝准論のベースとなっている久弥直樹論を再掲します(元の記事はこちら)。昨年放送されたアニメ『天体のメソッド』の完結…

Charlotte第十話を前に 「他人(が)思う故に我在り」という認識に到達した乙坂有宇くんの話

Charlotteは「アニメとして」は完全に破綻している。妹が死ぬ、それは乙坂にとっては「世界が終わる」ような出来事かもしれないが、客観的にそれを見つめている視聴者からすると「いや、崩れたのは校舎だろ」となってしまうし、直後の第七話でああまで堕ちき…

『ガッチャマン クラウズ インサイト』のフラット・デザイン――「現実」と「アニメ」の境界を融かすインターフェース

『ガッチャマン クラウズ インサイト』のOP映像は「写実的」という言葉の意味を根本から解体する。いや、それはすでに起こっていた事実を白日の下にさらけ出しただけなのかもしれない。この映像がさらけ出しているのは、「実写」と「アニメーション」の間に…

「Bravely You」の歌詞が『Charlotte』を信じられなくなってきた視聴者(つまり僕)への麻枝准の心の叫びに聴こえてきた話

そろそろ折り返しの第6話を迎えようとしてしいる『Charlotte』だが、麻枝准の「今回はスロースタート」「6話までは観て判断してほしい」との宣言通り、(私見で恐縮だが)どうも掴みが弱い印象がある。 確かに第3話からOP映像に追加された「謎の文字」による…

第2話およびOP映像から見えてきた、「Key/麻枝准的主題」の総決算としての『Charlotte』という可能性

『Charlotte』第2話が放送され早くも物語の核心に迫る設定が次々と開示されている。とくに友利の兄についての叙述は衝撃だった。襲いくる「過酷」にキャラクターが翻弄されるのは麻枝作品ではおなじみの図式だが、掴みどころがなくいまだ感情移入の難しい友…

『Charlotte』のヒロインがハンディカムを携えているのはなぜか/あるいは「映像」とは何か

「ゲンロン批評再生塾」の第3回ゲスト講師が渡邉大輔さん、テーマが「映像」ということで触発され、アニメ『Charlotte』を題材に文章を書いてみました。「今日、映像=映画とは何か」を改めて問い直すという今回の課題に、『Charlotte』のとあるモチーフにつ…

麻枝准脚本新作アニメ『Charlotte(シャーロット)』に期待する三つの理由

先日、「元」鍵っ子を自称するブロガーの方がこんな記事を上げていました。 麻枝准脚本新作アニメ「Charlotte(シャーロット)」に対する不安と期待 - りきおの雑記・ブログd.hatena.ne.jp 「元、なんてさびしいこと言うなよ……」と思うと同時に、こうして「…